敬天新聞 令和6年10月号 社主の独り言(中辛)

(敬天新聞 令和6年10月号 4面)



▼兵庫県の斎藤元彦知事に対して、やっと県議会が不信任決議案を提出した。全会一致の可決である。

散々ワイドショーで取り上げた後の、世間の顔色を見てからの提出ではあったが、全議員一致と言うのが、取り敢えず議会のプライドを守ったと言えよう。

ワンマン的な言動の斎藤知事ばかりが俎上に上がっているが、副知事の男も斎藤知事と一緒になって、亡くなった元県民局長という人物を、犯人扱いして追い込んでいる実態も見えてきた。パワハラは間違いない。

だいたい社会常識という意味がよく分からないという者が県知事であってはならない。県民が不幸である。

勿論、今の立場の弁明のための詭弁であろうが、人が一人公益通報が元のトラブルで亡くなったのは事実である。そのことを詫びることもなく、無視しているのである。

それどころか、寧ろ泥を塗りたくって平然と知事の立場に居座り続けている。その行為が、どれだけ県民に迷惑をかけているのか、それさえも考える力がないのであれば、先ずは公職に就く資格もないという事である。

大人の世界で何かの業界に所属し、況してや幹部と言われる立場に居て、そこで何かの不祥事が起これば、直接関係なくとも責任を取るというのが、一般的な常識である。

不祥事の最たるものと言えば、関係者が命を絶った時である。その者に仮に非があったとしても、直接の上司じゃなかったとしても、何らかの責任を取り謝罪するのが日本社会の常識である。

今回は「何らかの」ではない。直接疑惑の出ている当事者ではないか。それを揉み消す為に、副知事に命じて、敢えて「公益通報には当たらない」どころか、デマの拡散を助長したとして追及してるではないか。

だいたい亡くなった人に対して、涙も流さないような薄情な男に県政は担えない。そのくせ自分の事を理解して貰えない事には涙を流す薄情者。どんなに素頭が良くても、人間としての良心を持ってない者は全てにNО!

最近の選挙はショー化してきてしまっている。誰でも出れるというのは良い事ではあるが、議員に値しないような人物まで選挙に立候補したり、選挙をビジネスにする者まで現れてきた。

政治を司る者には利権を決定する権限が生じるし、各業界に分配する予算を決定する権限まで持つわけだから、色んな団体がすり寄って来るのである。そこを毅然と色んな考えを持つ異なる県民にできるだけ平等に配慮して指揮を執るのが、県知事のあるべき姿ではないか。

東大を出て官僚になって知事になった者が、ここまで我欲に満ちて道理が分からない男と言うのは、史上初のアンポンタン出来損ない知事であったと言わざるを得ない。無駄な抵抗は辞めて、仏門にでも入って般若心経でも唱えなさい。



▼アメリカのトランプ前大統領は自分が大法螺吹いて、世間を混乱させるような言動をしながら、「あの暗殺未遂事件はバイデンとハリスの言動が誘発したもの」と言っている。

二者選択の選挙だから、熱狂的な支持者から見ればお互いが敵と見えるのは仕方がない。しかし候補者の言動を見る限り、挑発的なのは圧倒的にトランプ氏の方に見えるのだが。それは役者出身だから、言動が大袈裟だからなのだろうか?

それに世界中からの寄せ集まりの国民性にもあるだろう。銃社会という世の中もあるだろう。金さえあれば誰でも銃が買えるし、銃の扱いさえ慣れれば、女性でさえ男と同じように人を殺せるようになる。一定数の移民の受け入れは、先進国や経済大国の責任と言われる時代にはなったが無限大に受け入れるというのは、やはり秩序維持の上からも無理難題と言うものである。

習慣、言葉、社会常識、規則等の違う、貧困者が一気に流れ込んで来て、しかも国民待遇を求めて来たら、それまで平穏に暮らしていた国民まで破綻してしまうだろうし、国が一気に破産してしまうだろう。そういう意味では、トランプ氏の移民は入国させないという考えもあながち間違いではない。

経済が豊かな国へ出稼ぎに行くのは、水が川上から川下へ流れる原理と全く変わらない自然の摂理と同じなのである。国内でも同じことで、東京一極集中と地方の過疎化の二極現象が起こっている。そして日本国内のあちこちの過疎化した町や村に、同じ外国人の若い働き手が集まり、その町を席巻し始めている。

いずれ日本の地方でも外国人の町ができて、それが二代、三代と続けば、外国人の文化が慣習となる町も出来るのは間違いないだろう。

もう入って来てる人達で、真面目に働いている人たちを、将来が不安だから出て行けとは言えない世の中になってしまったから、ちゃんとした手続きを経て、入国してる外国人に対しては仲良くやっていくことを模索し、新しく入国する外国人に対しては、年間の受け入れ数を国会できちんと決め、国民の誰もが納得するような例外以外は一切受け入れないという姿勢をしっかり守って行かないと、日本の国家としての独立性は壊れて行くのではないだろうか?

第三次世界大戦前夜と言われる、あちこちでの争いを見て、間違いなく日本も巻き込まれる日が来るような気がする。

我々に今できることは、侵略者に打ち勝つ強い自国の防衛意識を持つことである。



▼こないだ大谷翔平選手の打撃専門のアメリカプロ野球が始まったばかりだったのに、いつの間にか記録ダッシュで、それも三冠王やМVPの第一候補に選ばれるような立場に居て、もう最終試合が近づいているのである。一年の終わりが何と早い事か。

若い時には一年は長く、四季折々に色んな楽しみ方もあったが、今は知り合いが長年勤めた会社を退職して、再就職して、アルバイトを始めたとか、転んで骨折したとか、そんな話題ばかりである。

こないだパリオリンピックが話題になって、テレビを点けるとオリンピック選手ばかりが出て来た感じだったが、もうすっかり出なくなってしまった。大谷翔平選手の場合、もうスポーツ選手の枠は遥かに超えて、国民的英雄である。

今までも「あんな子が自分の家の子だったら」という実力とスター性を備えた有名人は何人も出たけれど、大谷選手ほど実力と人気と人柄を兼ね添えた人はいなかった。特に実力の面でズバ抜けている。

今でこそ日本で一番人気があるスポーツはサッカーのようだが、50年前は日本では野球が一番だった。その野球では、アメリカのプロ野球と言えば、雲の上の存在で、その大リーグのスターは、夢のまた夢という存在だったろう。

その立ち位置に、いとも簡単に立って、悉(ことごと)く記録を破り、そして新しく記録をいとも簡単に塗り替えて行くのだから、宇宙人と言われても仕方がない。

そして感心するのは大谷選手自身だけでなく、その御家族である。父親が地元の草野球の監督さんらしいが、全くマスコミには出てこないし、母親も全くマスコミには出てこない。

しかも大谷選手は日本で、少しすそ野が狭くなってきている野球少年の人口を増やそうと、全国の野球少年に対し、野球グッズのプレゼントを実践しているのである。

個々で小さな善意を行っている人たちは全国にも居る。そういう人たちにも陽が当たるきっかけにもなっている。大谷選手の善意が多くの人たちを勇気づけ、尚且つ励みになっているのである。

大谷人気にあやかろうと、政府も「国民栄誉賞」の授与を考えているらしい。確かイチロー選手にも贈ろうとして断られたんじゃなかったっけ? 他人が成し得ないような実績を作るような人に対しては、どんどん表彰してあげるべきである。

中には色んな事情があって辞退する人もいようが、それは実績を上げた本人の事情を尊重すればいいだけの話であって、声を掛けた時点で国が功績を認めたという事だから、それで十分だと思う。

とにかく大谷翔平選手の活躍が多くの日本人を励まし、高齢者の日常を楽しませてくれているのは間違いない。


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