世界秩序の過渡期を迎え

戦乱恐慌に備える心構え

(敬天新聞令和5年12月号 3面)



戦禍が伝えられるパレスチナ自治区ガザ


貧すれば鈍する

 今年も一年、あっという間に過ぎ去ろうとしている。世界を震撼させた新型コロナウイルスも、5月には季節性インフルエンザなどと同様の5類感染症に位置づけられ、我が国に於ける経済活動も徐々に回復して、国民の暮らしも平時に戻るものと思われていた。

ところが、ロシアによるウクライナ侵略は収束の兆しは見えず、それどころかパレスチナ自治区ガザにおけるイスラム組織ハマスとイスラエルの紛争が激しさを増し、イスラム教とユダヤ教を巡る宗教の対立と民族の分断を世界に齎した。

それぞれの争いに直接は関係ないとはいえ、エネルギーや食料といった生活の糧と成る多くの資源を外国に依存している日本は、円安に加え、実質賃金が物価高に追いつかず、生活は厳しさを増すばかりだ。

これまで世界の秩序が保たれていることが前提で進んだ大陸間のグローバル化は、国と国とで互いに足りないモノを補い合って、生活を満たしてきた。

しかし覇権主義を貫く中国共産党、ロシアによる武力侵攻、パレスチナを巡る中東の危機、加えて朝鮮半島有事や台湾有事も念頭に我が国も「備え」を真剣に考えなければならない時期に直面している。

地続きで直に国境が隣接する他国に比べて、日本は幸いにも海に囲まれた国だから、国民の危機意識に甘いところがある。だがそれも「衣食足りて礼節を知る」という言葉がある通り、最低限の生活か或いはそれ以上の生活が保たれているからである。

しかし「貧すれば鈍する」という言葉がある通り、生活も儘ならない状況に陥れば、秩序は一転するのである。

昨今、若者の犯罪が目に余るが、真面目に過ごして学歴や職業を得たとしても、未来志向にモチベーションを保てない日本の経済や賃金の問題、或いは政治に要因が無いとも言えないのである。

水も油も食料も、穀物を育てる良い土壌も、天然資源は永遠では無いだろう。いまや世界は、何かに貧し、鈍している国ばかりで、これまで保たれてきた世界秩序に歪みが生じて、抑えていた感情を今にも爆発しかねない状況だ。

一昔前まで軽視していた北朝鮮のミサイルも、いまや武器に貧したロシアが近づき、武器供与の見返りに技術革新を進めている。

北朝鮮にはハマスも近づき、武器を供与する代わりにハマスの地下戦術の提供を受けているとの噂もある。その先に見えるのは朝鮮半島有事である。

この一年、中国は核兵器を500発配備したとか、北朝鮮が戦術核を保有したとか、ロシアが原子炉を搭載した無限の飛距離を誇るミサイルを開発したとか、武力強化や武器の技術革新が著しく進んでいる。

国連憲章の世界平和とは乖離した世界秩序の過渡期に直面している。自分の国は平和だと思っている日本人がいるならば、考えを改める必要があるだろう。

核戦力を保持し、核で威嚇をしている国々が現実に存在している。これらの国が「貧すれば鈍する」その時、どうするのだろうか?

例えば追い詰められたロシアのプーチン大統領はどうするのか? 北朝鮮の金正恩総書記はどうするのか?

或いは近い未来に人工知能AIの軍事利用が進み、自国の壊滅的危機を回避すべく、核ミサイル発射の判断をAIに委ねる国が現れたらどうなるのか? 国連が機能不全と言われる今、その選択を抑止することができるのか?


天才物理学者アインシュタイン


窮すれば通ず

 嘗て不本意にも「原子エネルギー開放の父」と呼ばれるも、晩年まで反戦・核兵器廃絶を唱えて活動していた天才物理学者アインシュタインは、この世には「無限なものが二つある」という言葉を残している。それは「宇宙」と「人間の愚かさ」であるという。

今、私たち人類が直面している問題というのは、地球温暖化による気候変動であったり、格差社会や様々な要因による差別、そして人類同士が殺し合う戦争などである。

これらの苦難の要因は正しくアインシュタインが無限だと言った「人間の愚かさ」によるものだ。

そしてアインシュタインは、もう一つ「人間の愚かさ」を戒めた言葉を残している。それは「第三次世界大戦ではわからないが、第四次世界大戦では、人間は石を投げ合っているだろう」という言葉である。

これは、第二次世界大戦の時に原子爆弾を二発も使用した愚かな人間のことだから、第三次世界大戦があるとしたら、人間は世界を滅ぼすくらいの勢いで(核兵器で)戦争をするだろうから、更に第四次世界大戦が勃発した場合には、文明という文明は破壊されて残されていないだろうから、石を投げ合っているだろう」ということらしい。

つまり、いつの日か核戦争に成りえることを危惧して言っているのである。

現代ほど科学が発展していない時代に、科学的な見地から数多くの発見を成し遂げてきた天才物理学者のアインシュタイン。その中には近年の最新技術によって立証されたものもある。だが核戦争の予見だけは、現実のものとならないように祈るばかりだ。

しかしながら、自分たちが生きて行く上で、危険から身を守るために、戦わなければやられる時もあるというのが現実だ。

ではその時がきたらどうすればいいのか?

この国も郷土も、家族も自分も、大切なものを守るにはどうすればいいのか?戦うのか戦わないのか? 死ぬのか生きるのか? その決断を迫られた時、どうするのか?

テレビをつければ、異国の地で、砲撃で破壊された病院や学校で、血まみれになった子供たちが映し出されている。

それが自国の惨事となる前に、決断をする覚悟と準備をしなければならない。

その結果、たとえアインシュタインの残した言葉の通り、人間の愚かさによって、世界の文明という文明が破壊される日が来たとしても、私たち日本人は決して理性(民族性)を失うことなく、「道徳」という法を超越した崇高な精神で、嘗て戦後の復興を成し遂げたように、互いに助け合い日本を再建する筈である。

「窮すれば通ず」という言葉もある通り、窮地に追い詰められても、活路が開けるのである。

しかし、それには常日頃から、資源の乏しい日本が、どんなに貧しくなろうとも、海の幸、山の幸、天地自然の恵みによって衣食住を賄い、生きながらえてきた歴史と、そのことへの感謝や天を敬い人を思いやる心を大切にする気持ちを忘れない事である。

生活が満ち足りているうちは誰もが忘れがちな天地自然に対する感謝の気持ち。その気持ちを、完全に消失させてしまったら日本の終わりである。

その為にも、連綿と続く御皇室の伝統文化や天皇陛下による新嘗祭といった宮中祭祀の継承というものが、如何に日本人にとって、大切なことであるかということを、改めて考える必要があるということを、浅はかな私見で恐縮ですが、日本を愛する国民のみなさんに申しあげたい。


毎年11月23日新嘗祭では、天皇陛下が天地の神々に新穀を捧げて食し収穫に感謝して平和を願う



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