長崎日大高校空手部の 指導者の品格とトラブル

(敬天新聞令和5年11月号 1面)



長崎日大 池内一朗校長 長崎日大 力野孝典理事長


今度は長崎日大

 またまた日大関係のトラブル相談が、弊紙に寄せられている。

今回は大学の話ではなく、学校法人長崎日本大学学園が運営する長崎日本大学高等学校(通称長崎日大・長崎県諫早市貝津)でのトラブルである。

相談者は筆者(白倉)の田舎の先輩で、長崎日大で空手部の外部コーチを約18年務めてきた宮川誠悟氏だ。その宮川氏の息子である源太氏もコーチとして約12年務めている。

長崎日大と言えばスポーツ強豪校としてその名を全国に轟かせている。空手部に至っては宮川親子が誠心誠意、部員の指導に力を尽くしてきたことが実を結んでいると言っても過言ではないだろう。

その宮川氏の話によると、トラブルの発端は、息子の源太氏が長きに渡り空手部のコーチとなって貢献してきた背景には、長崎日大側の甘言があったのだが、それが全くの嘘偽りだという疑念が生じたからであるという。

これまで源太氏は、空手部監督の松尾清忠氏から「教師にしてやる」と言われ、その言葉を信じて一所懸命コーチを続けてきたそうだ。そして社会科の教員資格も取得した。

ところが松尾清忠氏から「社会科の教員資格では同校の教職に就くのは難しい、体育の教員資格が有利だ」と言われたそうである。

そこで新たに一念発起して、国立長崎大学の教育学部の門を叩き、体育の教員資格を取得して、今か今かと就任を待ち侘びていたそうだ。

宮川氏の長女が既に長崎日大で教職に就いていて、結婚式の際には、現理事長の力野孝典先生と現校長の池内一郎先生が参列していて、この時に「源太君のことは暫く待ってください」と宮川氏は言われたそうである。

また松尾清忠氏からも、長女が退職したら採用しやすいから暫く待ってくださいと告げられたという。この事から決して宮川氏の勝手な思い込みや、つくり話では無いことが分かる。

そこで一向に源太氏を教員として採用しない長崎日大に対して、しびれを切らした宮川氏が、力野孝典理事長と池内一郎校長に、話し合いを求めて「納得のいく説明をお願いしたい」という申入れを手紙で行ったのである。

ところが長崎日大から「担当肥田剛一」を通知人とする回答書が宮川氏に届き、「弁護士の助言および指示をいただいた」とか「当事者の源太氏と学園の話で宮川氏への回答は控える」といった的を射ない頓珍漢なことを告げてきたのである。

先述した通り宮川氏は親子で長年に渡り、長崎日大に誠心誠意、尽くしてきた。内輪の話し合いで疑念や齟齬を払拭しようと思い申し入れている宮川氏に対して、何という言いぐさだろう。

そもそも通知人「担当肥田剛一」について何の説明も添えずに、「弁護士」を盾にして「当事者は息子だ、関係ない親父は引っ込んでろ」と言わんばかりの物言いだ。「回答書」にしては、あまりにも粗雑で無情ではないか。

そこで改めて宮川氏は自身の立場を記し、通知人の「肥田」が何者なのかという問いに加え、長崎日大の不祥事を質す内容の手紙を出したそうである。

これに対する学校側の回答は「前回の回答で申しあげた通り」という何の解決にも至らない素っ気ないものであった。明らかに成ったのは通知人の「肥田」が教頭であるということだけだ。


長崎日大 肥田剛一教頭

これでは何の解決にもならないどころか、火に油を注ぐばかりで、お互い傷つくだけである。

宮川氏はあくまでも話し合いを求めている。だから弊紙も先ずは中立の立場で、当事者同士で話し合って解決することを求めて、長崎日大の力野孝典理事長と池内一郎校長宛に手紙を出してみたのだが・・・。

どうやら日大の傲慢な経営方針、危機管理の無さ、古参による悪しき驕り高ぶり体質は、全国の系列校にまで蔓延しているのかもしれない。

因みに空手部監督の松尾清忠氏という人物は長崎県空手道連盟の幹部であり、もうすぐ古希を迎えるそうだが若い頃は国体で優勝する等の功績があるらしい。

だが20年位前に長崎日大空手部の監督でありながら、参加中の県高校総体の中日に、佐世保市内の料亭で行われた懇親会の終了後、店先で偶然出会った当時の佐世保市長に挨拶すると見せかけて、不意に金玉を掴むという騒動を起こしたことが地元紙で報じられている。

激怒した佐世保市長に後日謝罪を行い、事なきを得たそうだが、今なら不同意ワイセツ罪とか暴行罪でアウトだろ? 教師にしてやるとか嘘は吐くし、長崎日大はとんでもない武道者を監督にしているな〜、押忍!



上は地元紙 長崎日大空手部 松尾清忠監督


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